17歳(高校時代)
床の間の隅に薄汚れたギターが立てかけてあることに気づいた。僕は石原裕次郎ブームに遅れて来たが、長兄が憧れて買ったもので二、三度、ボロンボロロンと弦をいじっただけで、ずっと前から埃をかぶったままだ。
それからたびたび、軽いけれど大きなこの楽器をやさしく膝の上に載せ、弾く真似ごとをした。魅せられたけれどほんとうの弾き方がわからない。
昼休み、廊下の窓から挑発するような響きが洩れてきた。見下ろすと、緑のクローバーを敷きつめた中庭の一隅でギターを練習しているグループがいる。吸い寄せられるように急いで階段を降り中庭に出た。陰りを帯びた音色が近づいて来る。映画「禁じられた遊び」の主題歌だった。
翌日、僕はもう中庭のグループのなかにいた。「禁じられた遊び」の主題歌「愛のロマンス」のギター奏者がナルシソ・イエペスであること、原曲はスペイン民謡で作者不詳であること、などを初めて耳にした。イエペスの演奏は甘くゆったりとしている。映画監督ルネ・クレマンの着想で意図的にテンポを遅くしてみたのである。別にすでにヴィンセンテ・ゴメスの演奏した盤があって、こちらはスピードがあり力強く原曲に近い。
「手製のギターが置いてあるんだぜ」
仲間の一人がうっとりしたような眼でつぶやいた。学校の帰路、繁華街の楽器店に寄り道する習慣がついた。ピアノやエレクトーンを並べた大型店でなく間口の狭い専門店で、管楽器とギターばかり、所狭しと吊るしてある。ショーウィンドウに恭(うやうや)しく一台のギターが飾られていた。穴を覗くと筆文字の署名が見える。僕たちのギターの十倍以上もする高い値札がつけられており高校生の分際ではとても無理だ。僕らは、生唾を呑み込みながらいつまでもガラスの向こう側のギターを眺めていた。奥に気難しそうなミュージシャン然とした顔の若い主人が坐っている。
「ちょっとだけ弾かせてください。お願いします」
店主の機嫌がよさそうなときには鍵を開けて出してくれる。僕らは先を競って「愛のロマンス」を弾いた。レコードで聴いた音色がいまここにあるのだ。頬が紅潮した。束の間の居心地のよさを見つけた気分である。
「手製のギターって、なんて深い音が出るのだろう」
店主は留守がちであった。目的は手製のギターから、代わりに店番をする鼻っ柱の強そうな、けれど美しい娘に移っていた。店主の妹だった。
ある日、娘と僕しかいなかった。
「またあのギター、弾かせてください」
娘は微笑んで横に坐った。高校を卒業したばかりなので、僕より歳上になる。頬を寄せてきた。好意を抱いてくれている、とすぐにわかった。どちらからともなく手を握った。娘の掌は汗ばんでいた。
毎日、通った。夢中になるなんてむずかしいことでも何でもないのだ。
その日もいつものように店に行った。髭面の青年が店主と親しそうに談笑している。娘は故意に僕を無視した。
「あの人はね、兄の友人よ。わたしなんか相手にもしてくれないわ」
翌日、そう言われた。それからしばらくの間、僕は甘くもの哀しすぎるイエペスよりも男性的なゴメスの演奏の真似をして弦を強く弾(はじ)いていた。
「僕の”禁じられた遊び”」(98・3)『僕の青春放浪』所収